49歳介護老人施設事務責任者の過労死についての事例(小池事件)をアップしました
1 和歌山県有田郡広川町の介護老人福祉施設で事務管理室室長として勤務していたSさんは、平成22年10月6日、残業中にクモ膜下出血を発症し、救急搬送されるも同月13日、49歳の若さで死亡しました。経営主体の社会福祉法人は、長年経営してきた保育園に加えて、この老人福祉施設のほか、デイサービスセンター、ケアハウス、グループホームなど6つの施設を次々と開設し、Sさんはこれらの施設のあらゆる事務を担当してきました。そこへ、ベテラン事務員2人が次々と退職したにもかかわらず適切な人員補充がなされなかったため、Sさんに介護保険請求をはじめとする過度の業務量がのしかかっていったのです。発症前の時間外労働は4か月で、月に約90時間~150時間に及んでいました。
2 妻の江利さんは、Sさんが倒れたのは仕事が原因だと確信し、1か月半後の平成22年11月25日に御坊労基署に労災申請。直後に当職が相談を受け、弁護団を結成して精力的に活動を開始しました。
平成23年6月に御坊労基署が労災と認定したことから、我々は法人に交渉を打診しましたが不誠実な対応であったため、平成24年3月、江利さんと3人のお子さんは法人と理事長、施設長の三者を被告として和歌山地裁に民事訴訟を提起しました。
3 江利さんは大阪過労死家族の会に入会するとともに、折しも平成23年11月から始まった過労死防止法制定の取り組みにも積極的に参加、街頭での署名活動や院内集会などのほか、地元の弁護士や県会議員らの協力も得て、和歌山県、和歌山市、有田川町の3つの議会で「過労死防止基本法の制定を求める意見書」の採択を実現。平成26年6月20日、衆参両院で全員一致で成立した過労死防止法制定の大きな力となりました。
4 民事訴訟は、家族の会の仲間たちの支援も得て、平成27年8月10日、完全勝訴といえる判決が下されました。被告らは控訴しましたが、平成28年2月29日、大阪高裁で、①解決金の支払、②原告らに対する謝罪、③和解内容の施設内掲示などを内容とする完全勝利和解が成立しました。江利さんの5年4か月に及ぶ闘いは終結しましたが、江利さんは平成27年4月からは大阪過労死家族の会の代表に就任し、過労死の救済と予防のために広く活動を続けています。
5 平成28年10月8日、家族の会をはじめとする支援者、小池さんご家族、弁護団による裁判報告集会が、大阪の堂島ホテルで開かれました。艶やかな着物姿で御礼の言葉を述べる江利さんと3人の子どもさんの姿を見て、この5年あまりの裁判の闘いと過労死防止の取り組みが重なり、万感胸に迫るものがありました。
これを力に、これからも頑張っていきたいと思います。
<小池江利さんからの一言>
遺族の気持ちの尊重した、厳しい証人尋問と粘り強い和解交渉に感謝
小池江利
2010年10月、和歌山県内の社会福祉法人が経営する介護老人福祉施設で事務管理室室長であった夫が、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を発症し、亡くなりました。夫の勤務先と住居、私の自営業が同じ町内で狭い地域の出来事だったこともあり、私は、孤独を感じながら、『夫の死の原因は、年々増加していた仕事量や過重な時間外労働、休日出勤、精神的ストレスからの過労死では』と考え、毎日不慣れなパソコンに向かいあいました。そして以前テレビで観たことがあった過労死110番を検索し、何日も悩み思い切って電話をし、岩城弁護士と繋がることが出来ました。
後日、大阪に出向いた私は、泣きながら夫の働き方と私の気持ちを話しました。先生は、「頑張ってやってみましょう」と、先生他2名の弁護団をつくってくださり、同時に『大阪過労死を考える家族の会』をご紹介くださいました。私は、先生とお会いすることによりそれまでの心細い思いが吹き飛びました。 その後、労働基準監督署で労災と認定されましたが、責任追及と原因究明を求め、和歌山地裁での民事裁判に進みました。
裁判官の勧めで和解交渉を行いましたが、被告らの誠意のない回答に、先生はきっぱりと「和解交渉は打ち切ってください」とおっしゃってくださいました。私はその時、胸のすく思いをしたことをよく覚えています。
その後行われた証人尋問で、先生から被告らへの尋問は夫のやりきれない気持ちを再現されたような正義感に満ちた厳しいものでした。判決は画期的な勝訴判決をいただきましたが、被告らは高裁に控訴しました。大阪高裁での和解勧告で、法人らは、地裁判決を認めた上、全面勝利和解が成立しました。
私は、夫の死後、『誠実に働いていた夫の名誉回復をしたい』という思いを持っていました。高裁での和解条項には、夫への感謝、謝罪の文章はもちろん、夫が不適切会計を行なったかような被告ら主張の事実はなかったことと、職場で発症した夫の救急搬送について遺族に虚偽の説明をしたことをそれぞれ認め、謝罪することが条項に加わりました。この例外的な和解条項は、弁護団が粘り強く遺族の私の気持ちを尊重してくださったおかげと感謝の気持ちでいっぱいです。
しかし、夫は帰ってくることはありません。私は、『どうにかして、夫の過労死を防ぐ手立てはなかったのだろうか』と自問自答してきました。そんな中で、先生がご紹介くださった家族の会の交流は、今も私の心の支え的存在となり、現在、微力ながらお手伝いさせていただいています。
先生は、過労死等防止対策推進法成立にご尽力され、過労死防止全国センターの事務局長、過労死防止大阪センターでは副代表を務められご活躍されています。このような全国的な運動が過労死防止に進みますよう遺族の一人として願っています。