過労死・過労自殺 相談ガイド

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産婦人科医の過労自殺で勝訴判決

1 中国地方のへき地にあるP総合病院で産婦人科医をしていた50代の男性医師のAさんは2009年3月、病院の敷地内にある医師住宅のガレージで首を吊って自殺しました。

 Aさんは約25年の産婦人科医の経験を持つベテラン医師で、約10年前から、P総合病院の産婦人科(ベッド数300床)の部長として勤務し、年間約200件の分娩・開腹手術を行っていました。産婦人科では入院患者に異常があればいつでも駆けつけなければならないため、一般にこの規模の産婦人科であれば、常勤医師が3名必要にもかかわらず、もう一人の若いB医師との2人しかいなかったことから、ほとんど休日も取れず、いわば24時間・365日拘束されていたといえます。

 Aさんは2008年10月ころから頭痛やめまいなどの体調不良に苦しみ、年末ころからうつ病の各種症状が出てきていましたが、長時間労働と連続勤務を続けざるを得ない中、冒頭に述べた最悪の事態に至ってしまったのです。遺されたメモには、「ゆっくり休みたい!」などと書かれていました。

 妻のC子さんは、2011年3月地元の労働基準監督署に労災申請をしましたが業務外とされ、その後審査請求・再審査請求も棄却されたことから、2012年11月、広島地裁に行政訴訟を提起したのです。

2 私たち弁護団は、提訴から1年近く経った2014年8月、当初の弁護団から交代して代理人に就任しましたが、タイムカードやスケジュール管理記録はなく、労働時間や実際行っていた業務をどのように把握すればよいか悩みました。

 私たちは、病院に対して、自殺前約1年間の入院患者のカルテの開示を強く求め、膨大なカルテの提出を受けることができました。それを、全面的に協力してくれた東京のD医師(Aさんと同じく長年の産婦人科医の経験を持つ女性医師)らが詳細に分析してくださり、それとコンピュータのログイン記録などとあわせて、自殺前1年間のタイムテーブルを完成させることができたのです。また、産婦人科医の業務の質的過重性についても、特にへき地における産婦人科医療の現状に危機感を持つ多くの医師たちや医師団体が意見書を書いてくださいました。

 2018年6月から8月にかけて3回にわたって行われた人証調べでは、原告側からは、P病院に医師を派遣する立場にあった国立大学医局のトップであるE教授、上記のD医師と妻のC子さん、被告側からは助産師のFさんに対する尋問が行われました。

3 判決は、双方の主張立証を踏まえて、①Aさんは2009年1月頃に「軽症うつ病エピソード」を発症した、②発症前おおむね6か月の間に月80時間以上の時間外労働が複数あった、③2週間以上にわたる連続勤務が少なくとも5回あった、④部下であるB医師との間で明らかな対立があったと認定し、②・③・④はいずれも心理的負荷の強度は「中」に該当し、これらを全体評価すれば「強」と認めるのが相当であるとしました。

 また、被告国は、Aさんが2005年4月から家族が転居し事実上単身生活を余儀なくされたことを、認定基準が業務外の心理的負荷「強」とする「離婚又は夫婦が別居した」に該当すると主張しましたが、判決はこれを排斥しました。

4 判決は本文だけで110ページ、これに付属の表も含めると243ページに及び、大変詳細かつ精緻な認定と判断をしています。また判決は、多くの新聞・テレビ等で報道されました。 そして、国側は控訴せず、一審判決は確定しました。

5 折しも今年4月、働き方改革関連法が施行されましたが、政府は医師については時間外労働の上限規制の適用を5年間延期したうえ、5年後も、一定の場合には過労死ラインとされる年間960時間(月平均80時間)の2倍近い1860時間まで認めるとする報告書をまとめました。これでは、医師の過労死・過労自殺をなくすことは到底できません。

 この判決は、そのことを明らかにした点でも大きな意義があるといえます。(弁護団は林裕悟、中森俊久と私)

                              (弁護士 岩城 穣)

2019年8月1日発行 いわき総合法律事務所ニュース 春告鳥第10号

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